(投稿)介護は嫁の仕事? -作者不詳

目次

(投稿)介護は嫁の仕事?

これは現実のことか、それとも幻か。(※多分フィクションだと思います。)
十数年前に日本生活介護のホームページに送られてきた作者不詳の奮闘記です。送り主は不明。心当たりのある方はぜひご連絡を。
※見出しは編集者がつけました。

PDFのダウンロードはこちらから。

脳梗塞

 私は片田舎で暮らす長男の嫁。両親とは車で30分のところに離れて暮らしている。成人し就職して離れて暮らす娘と中学生の息子との四人家族。夫には姉が一人、県外にでて結婚し、子供も成人し夫婦で暮らしている。数年前に夫の父が脳梗塞で倒れて入院した日から全てが狂い始めた。
病院へ連れて行くと、症状は軽いけれど、即入院と言われ、慌てて入院に必要なものを買いに走った。病院へ戻ると、一緒に付いてきていた夫と母は既にいなく、父だけがベッドの上で手持ち無沙汰な様子で待っていた。
 着替えを手伝い、付き添いは要らないとのことなので、帰宅する段取りで様子を見る。夜、母から聞いたと言って、唯一、母の弟の嫁(叔母)が駆けつけて一緒に様子を見、失禁の片付けを手伝ってくれた。それから毎日、朝、昼、晩と父の元へ通うが、行く度に失禁でパジャマがベタベタ、何枚買い足して持っていっても足りず、医師の指導で紙おむつをすることになった。
 だが「こんなもの!」と父は拒否し、パジャマもシーツもベタベタ。敷いていただいたオネショシーツすら直ぐに交換しないとベタベタになってしまう。
 数日たったある日の夕方、突然主治医から私の携帯に電話があり「今すぐに個室に変更した上、誰かが付き添いをしないなら退院していただかなければいけない事態になっています。今すぐに病院へ来てください」と連絡があり、一人で駆けつけると、異常行動が止まらず、幻覚と戦う父の姿。主治医に「お前が黒幕か!」、看護師長に「お前がブローカーだということは分かっている」、「静かに!やつらの足音が聞こえる!」と叫んでいる。
 すぐに、自分の判断で付き添うことを決め、個室へ移動してもらった。その夜は、今まで見たことがない父の姿に驚き、現実が受け入れられなくて、夢のような経験をした。想像を絶する騒ぎ方。何度着せてもパジャマを脱ぎ捨て、オムツも何度履かせても脱ぎ、尿を撒き散らし、ベッドから下りて、どこからそんな力と勢いが出るのか、ベッドや冷蔵庫を引きずり、見えない敵と戦う。
 わめきちらし、私は一人泣きたい気分だった。睡眠薬を普通に飲ませても全く眠らず、医師が倍の量を処方してくれたので飲ませた。それでも眠らず。「注射して眠らせてほしい」と懇願すると「獰猛な猛獣でも眠る量の睡眠薬を飲ませているから、これ以上薬を使えない」と言われ、一晩中暴れる父に、一人個室で寄り添った。
 これが生まれて初めての他人への下の世話の経験だった。やっと注射器を持って看護師さんが来てくれたのは、夜が明ける頃だった。
 主治医に、「こんな症状は今まで見たことがないから、前頭葉の脳梗塞の疑いがある。もう一度MRIの検査をします」と言われ、翌日から様々な検査が始まった。結局、アル中の禁断症状が出たことが分かったのは数日経過してからのことだった。看護疲れで高熱が出た私は、一人ではどうしようもなくなり、母や姉に応援を頼んだ。
 駆けつけて付き添ってはくれたが、二人が付き添うと、私の話が嘘だと言われるくらい父は大人しくなった(後日分かったが、父が食べたいというものを内緒で買い与え、酒もコッソリ飲ませていたようだ)。

在宅生活

 しかし、母や姉が付き添う(たった1日だったけれど)のをやめると直ぐ、私が病院から帰宅して目を離すと大暴れして言うことを聞かない。主治医に暴言を吐き、最終的には、最後まできちんと治療を受ける前に「これ以上の入院治療は不可能です。明日、退院してください」と言われ、仕方なく退院した。
 父の入院中、土間があり段差の激しい実家を大急ぎでバリアフリー改装しようと大工さんにきてもらった。しかし母に「必要ない」と怒られ、夫は、我関せず。説得するのが大変だったが、父が帰宅してからのほうが大変だと判断したので、私ひとりの判断で、無理矢理大改装をしてもらった。夫は自分の親なのに知らぬふりをきめこみ、全ての責任を私に向けたまま、関知しない。
 退院後、数回は、片道1時間掛かる大病院へ、一人で父を診察に連れて行ったが、失禁するので、車にバスタオルを敷くと「馬鹿にするな!」と怒鳴ってはずされ、30分に一度トイレに連れて行くのも大変なので、主治医に頼んで自宅近くの診療所への通院に変更してもらった。
 主治医に「車の運転は死ぬまでしてはならない」といわれた事もあり、診療所の先生からも「絶対に運転をしてはならない」と言われ、車を廃車処分した。しかし、主治医との話には全く同席すらしようともしなかった、母も夫も姉も、親戚すら「車を取り上げるのは可哀想だから好きなようにさせてあげて」と言い、母は「私が助手席に乗る。死んでも良い」と医師に言い切る始末。
 母や父が事故で死ぬのが怖くて廃車にするのではなく「人を轢く恐れがあるから廃車にする」のだと医師も説明してくれたが、聞く耳をもたない。無理矢理廃車するしかなかった。「死ぬまで禁酒」と医師から説明を受け、断酒の約束をした。しかし、それでもなお母は飲ませる。父の脳梗塞を理解せず、また、私一人が悪者。
 「おとうちゃんと一緒に住むのは私! もうほっといてよ」。一生懸命手伝えば手伝うほど、母は嫌がり、夫も母に殉じ、鬼嫁として、みんなが私の敵状態。可哀想だからと言ってお酒を飲ますのは、アル中で薬が効かないお父さんにとっては飲まさないよりも可哀想な事。
 「先生も説明してくれたのだから、可哀想なのはお父さんの方」と、説明する私の注意を無視し続け、母は、「私は飲ませてない」といいながら酒を欠かさず購入し、父が盗み酒をして浴びるほど飲んでも「知らなかった。私は飲ませてない」と言い張る。「トイレまで間に合わず尿を垂れ流すので困る」と母が言うので、ポータブルトイレを買って持っていき、すぐに使えるようにベッドの横へセットして帰る。しかし、次に実家へ行くと、トイレは物置に片付けられている。「杖が滑って使いにくそうだ」と言うので、滑らない介護用の杖を買って持っていき、使うように置いて帰る。
 次に実家へ行くと、先の細いつるつる滑りやすい竹の杖に変えられている。「足が弱いから歩くのが大変だ」と言うので、手押し車を買って持っていき、車を支えにして歩く練習をして帰る。次に実家へ行くと物置に片付けられている。
 「外で歩くと躓いてよく転ぶ」と言うので、脱げにくい介護シューズを買って持っていって履いて歩く練習をして帰る。しかし、次に実家へ行くと、玄関には滑りやすくて脱げ易い健康サンダルだけが置いてある。
 母が訴えるままに、助ける方法を考え手を差し伸べるが、ことごとく拒否され、使わないのはなぜかというすばらしい言い訳を考えていて、そのつど夫は納得し、入らぬおせっかいをすると怒り、母には無言。
 「尿漏れで洗濯物がたまるので、衣類乾燥機を今すぐに買って欲しい」というので電気店に行き購入し、実家にセットしてもらうが使おうとしない。「どうして?」と聞くが「今はいらない」。使い方が分からないのかと思い、試しに使ってみると、即ブレーカーが落ち、電気の容量不足が分かる。自宅改装の折に電気工事をしたはずだから、どうしてだろうとブレーカーを見ると旧式のまま。工事担当者に聞くと「工事が必要だと話したのですが、お母さんが、そんな工事しなくてもいいと言うのでしませんでした」 

認知症

 そんな日々に疲れはて、マザコン夫との会話もなく私は悪者のまま数年が経過。
 昨年、父の言動が異常だと気づき(前から異常だったけれど、特に異常だと感じ)、私の介入を嫌がる母に「今回、介護認定通知に介護度は何と書いてある?」と聞くと「介護1」と言う。オムツを買ってきて欲しいと言うので買うけれど、一ヶ月に1万以上買って持っていっても足りないと言う。介護1なら手続きをすれば、年単位で5万円の補助が出るはず。役所に問い合わせると、認定は「要支援です」とのこと。
 そんなバカな。あれほどの状態なら介護3、いや、せめて介護1以下と言うはずはない。調べると、全てのサービスも何もかもを断り(母は、断ってないのに来てくれなくなった、と言い切る)。父が認知の症状だと明らかに分かる状態にもかかわらず、父がつじつまが合わないことを言っても認定に来てくれた人に、「今だけです。こんな言い方をするのは。何時も元気で普通です。おしっこは漏らしません。まったく異常なところはありません。元気です」と隠し通し、父を定期的に行かなければならない診療所にも行かせず、高血圧の薬も飲ませぬまま。酒びたりなのでのどが渇くらしく水分を異常に摂取、洗面所の蛇口からがぶ飲みの日々。両足は、根元から歩くのが不可能ではないかと思うくらいの浮腫。転倒しながらトイレへ行かせ。食べ放題、飲み放題。
 母は「嫁に言うと怒られる」と言い、認定日も私の同席を拒み、私は悪者のまま。父の様子は、昼夜逆転、暴飲暴食、被害妄想、徘徊……「買ったばかりの車を盗られた。犯人は○○さんです」と、固有名詞を出して駐在所まで這って行き、おまわりさんにおんぶしてもらい帰宅。車を返せといたるところに電話する。我が家にも10分おきに掛けてきた。等々。しかし、父の行動はパターンが決まっていて、母が家に居ない事を確認して行動する。これも後で分かったが、母は出掛けた振りをして家の中で様子を見ていたこともある。
 父は、家の周囲に簡単には持てないくらいの重さの角材や棒を立て、幻の窃盗団から家を守るためにバリケードを築く、あまりにも酷い。夫は「母が正常だと言うのだから正常だ! 親を馬鹿にするな!」と叫び。話を聞いてくれない。
 父がこんな症状になったのは、私が父から車を取り上げたからだ、と母は思い込んでいて必ず言う。色々な施設へ行き聞いたり調べて、実際に施設内をこの目で見て、母に「お父さんの症状は普通じゃないから、認知症の認定をしてもらいましょう」と話しても、「私は、あんたみたいに上手に嘘がつけん」「あんたは嘘を平気でつけるけど私は下手や」と言い、隠し通すつもりらしく、どうしようもなくなった。
 そこまで言う? というほど言われ、意地悪だとは思ったけれど「助けて」と言ってくるまで、紙おむつを買って持っていくのを止めることにした。数時間に1本バスが走る田舎暮らし。どうするのかと思っていたら、母はすぐに姉にSOSを出し送ってもらうようにした。しかし、姉もかかわりたくないから、一度送っただけで送ることは無く(ここ1年、隣県に住み2時間で来られる距離に居ながら来たことは無い)、母は自分でバスに乗って買いに行ったり、近所の人に乗せてもらって買いに行きはじめた。 

介護サービス

 ところが、父の症状が益々重く酷くなってきて、やっと「助けて」と電話が掛かってきた。すぐに、事前にお願いしてあったケアマネージャーさんと連絡を取り、話を聞きに行き、診療所の先生とも相談をしてお願いして父の往診に来ていただいた。診療所の医師は、「お父さんは、少し見ただけでは認知だとは分からないけれど、確かに言われてみれば少し変ですね」と言う。そのくらい一目見ただけの人には分かりにくい症状。
 医師に、母に「認知症は、皆がなりえる病、決して恥ずかしいことではない」と母に話してもらい、認知症認定の検査に行く紹介状を書いていただき、翌日、精神病院の専門医の診察による検査に出かけた。検査の結果は「間違いなく認知症」。社会福祉協議会から手続きをとってもらい、役所の審査の結果「要介護3」となり、介護に必要なサービスを受けることになった。
 介護認定に訪問してくれた担当者が、「いつも聞くお母さんの話とお嫁さんの話があまりにも違いすぎ、お父さんは、見た目は正常に見えるから、お会いして様子をゆっくり見ないと、こんなに違う話では判断できません」と言われながら、専門医の診察を経て、ようやくたどりついた船着場。明るい介護認定の船出だった。
 ……だった……はず……なのに……だけど、ここからが大変。やっと、やっと、ここまでたどり着き、順調だったけれど、私はもう諦めました。この冬、父のことで揉めながら、自分のしたいことをしようと就職活動をし、合格したけれど、両親のことで夫との夫婦喧嘩に疲れ、せっかく決まった就職先も諦めて断った。何度仕事を辞めたり諦めてきたことか。私は、介護より自分の子を無事育て上げたい。
 様々な葛藤と共に、様々な出来事があり、最近やっと介護施設に介入していただき、毎日の入浴介助と重ねて、通院の付き添い、毎日7種類飲んでいる薬(精神病院の指導で処方されたツムラの抑肝散という漢方薬)が認知症の父に良く効いてくれている。後は、血圧、膀胱、利尿・等々の管理をきちんとヘルパーさんにお願いし、車椅子でのリハビリを兼ねての散歩。その上、今月から父が順調にショートステイを定期的に受けられるようになり、ヘルパーさんにも介入していただくことで、365日何等かのサービスを受けられるようにプランを立て、母のストレスも少なくなり、安定すると思っていた。 

介護は嫁の仕事か

 7月から、再び就職活動を始めた矢先、母が全てのサービスを断ってきた。とケアマネージャーさんから電話が入った。筆舌に尽くしがたいと言うのは大袈裟かもしれない。
 しかし、夫に「親の介護をしなければ別れてやる!」「介護しないと言うならお前を刺し殺してやる!」と恫喝され、「親のことを一々話するな。黙ってみればいい」「親をみるのはお前の仕事じゃ! 黙って見られないなら別れてやる」。驚くばかり。
 どうして? 他人の私が、夫の親の介護をしなければ殺されなければならないのか? 夫が親の介護を一生懸命一人でした上で、「一人での介護は限界になった、どうか一緒に介護を手伝ってもらえないか?」とお願いするにも関わらず私が無視した。あるいは、「共に介護してはくれないか?」といわれたのに私が拒否したというならば、私も納得できる。そうではなく、「一人で何とかしろ! お前なら出来る」といわれ、挙句の果て、拒否してないのに「刺し殺してやる!?」。
 そう言われる前から、私は、全ての契約書には、夫ではなく私の名前を書き、全ての連絡を私のところへ来るようし、役所からの書類や連絡も社会福祉協議会からの連絡も、全て私の名前で私宅に届くようにし、電話番号も自宅だけでなく、私の携帯番号を記入し、介護の勉強をし、手続きを取り頑張ってきました。バリアフリーの手続き、おむつ代の補助、介護用品のレンタル、母が父を入居させたいと名指しした施設を訪問して説明を聞き、父の診断書を出し、申し込みを済ませ、言われなくとも私は、一人で動き回り、手続きを済ませ、一生懸命夫の親を介護する覚悟をしていました。
 別れたいなら、私は今すぐにでも別れられます。私は平気です。でも、何で? 親の介護を他人の私が補佐しながら頑張っているのに、その親の話や愚痴を夫に言うだけで別れることになるの? 母は、もう何十回リフォームや介護プランを変更したことか。何もせず、愚痴を聞くだけで良い夫が「お前の話でワシはストレスで限界じゃ!」と言われなければならない訳が分からない。
 でも、別れると言う人ほど別れない。脅しに使う言葉。本当に別れる人は黙って別れる。誰の力も借りず、自分ひとりで生きていく覚悟を固めたら、口に出さずとも行動する。まったく何もしない、知らぬふりをする夫。「お前が親をみないなら、わしが仕事を辞めて親をみる。それでもええんやな!」そう叫ぶ夫。
 「どうぞ」と、私。だけど仕事も辞めず(言うほど大した仕事でもないのに)「わしが一人で親を見る!」そう叫びながら荷物をまとめるのに、行かない。息子に「今、何もしないお父さんが実家へ帰って世話になるのはお父さんの方で、おばあちゃんが今より大変になるだけなのに分からない?」と言われ、すごすごと荷造りを解いている。(私は、行ってくれれば良かったと内心、残念に思ったけれど)息子でも分かることが分からない。
 「そんなに、わしに家へ帰って欲しかったら帰ってやる!」って? 私に言われたから実家に帰るの? わたしのせいなの? 「私が言ったから、無理やり帰らされて僕……可哀想でしょう……」と母親にアピールしたいの? 全て私の責任? 50歳過ぎても、お母ちゃまに「よしよし、可哀想な息子よ~。鬼嫁め~!」って、なでなでしてもらいたいのね。
 こんな馬鹿亭主と結婚した私は大バカ者だと自分自身情けなく思う日々。せめて夫が「すみません」「ありがとう」「すまんなあ」。この一言を言ってくれれば報われる。そう言ってみたことがあるが「思っていても言わんのじゃ!」。じゃあ思ってないということね。
 「夫の親の介護は嫁がやって当然」。母にも、姉にも、夫にもそう言われた。母など、「私はそれが当たり前だと教えられて育ってきた!」と豪語する。「お母さん、じゃあ、お父さんの親を見るはずだった貴女は夫の親をみたの?」と聞くと「跡継ぎは弟。親を見る必要はなかったからみなかった。本家は変わり者、付き合いは無い。法事にも呼んでくれない」と言い放つ。法事に呼んでくれないと言うなら、お父さんの実家のお墓参りは? お彼岸は? お盆は? 近くだからお参りに行ったことある?私は、お墓参りは無償でするものだと思っていたわ。
 見返りを求めるのね。お母さん、貴女の息子は、父親の実家の墓を知らないと言うわ。どうしてなの? でもね、私は、あなた方(夫の両親)と結婚したのではない。夫と結婚したのよ。夫が私の苦しみを受け止められないなら、私は何処に、誰に、この苦しみを吐き出せばいい? 逃げ出したくても、夫に「もれなく」ついてくる両親。

夫の母

 良い両親だと思っていた。3年前までは幸せだった。一人が壊れ始めたら、何もかもが音を立てて壊れていく。夫は、自分は何もせず、母と一緒に「知らなかった」「聞いてなかった」「そんなこと言った覚えはない」と言えばそれで済むと思っている。
 姉までもが「お母さんはそんなことを絶対に言わないと言っている。言う人じゃない」と電話してくる。もう、姉には電話をしない。掛かってきても出たくない。外に向かっては、母も夫も最高の人物。羨ましいと他人からは言われる。なのに、「自分の、実の親のことなのよ!」と言えば「聞きたくない! 何時までそんなことをグダグダと言うのか! 口いっぱい言いたいことを言いやがる女だ! お前は周りに気を使うことは無い! わしにだけ気を使え! わしが気持ちよく仕事ができるように気分よくいられるように黙って親を見ればいいんじゃ! いちいちうるさいんじゃ!」と言ってののしり「刺し殺してやる!」と暴れて、台所の大きなテーブルを持ち上げて騒ぐ。(ああ、この人もアル中の気があるのか)と覚めた目で見てしまう。
 「よく聞いておけ、お前の親を預かって介護することになっても、わしはお前のように絶対文句は言わん! ごちゃごちゃ言う男と違う! お前とは違うんじゃ!」どうして? 私の母は既に亡くなり、父は健在だが元気な姿で現役で働いている。
 たとえ介護しなければならなくなったとしても、父と同居の弟と相談して、弟の嫁の負担にならないように最大限の努力をして、ヘルパーさんや施設の助けを得るようにしたい。実際に、母は私と父とで必死に介護し、弟のお嫁さんに助けてもらうことなく、お嫁さんの負担にならないようにと、努力し、看取った。夫への負担は一切無かったわ。父を我が家に引き取るなど、今、現実にない話。
 もしかし……たら……れば、の話はいくらでも大きく話せるわね。大きな話をして怒鳴り散らす。昔、大家族で同居している実家で、弟の嫁が祖父と喧嘩し、謝れ、謝らない、で揉めたことがあった。弟が嫁に「おじいちゃんに謝れ!」と怒った。その時、丁度居合わせた私は、弟に「お前の嫁はお前と結婚したのだよ。おじいちゃんと結婚したのではない。たとえ100人中99人、嫁が間違っていると言って批判しても、この家の中で味方はお前だけだということを忘れるな。一人で矢面に立って嫁を守りぬけ。嫁に代わってお前がおじいちゃんに上手に謝れ。嫁との間に出来た溝はお前が埋めてやれ。血のつながりがある者は、その血で溝を深くも出来るけれど、埋められ許しあうこともできる。お前が皆と一緒になって嫁を批判してどうする? すがり付くところが無くなったら、たった一人で外から嫁に来てくれた妻は身の置き所が無くなる。妻を守ってやれ。後で、落ち着いてから、ゆっくり謝ることも出来る。それがお前の役目だ!」と諭したことがある。
 その考え方が、当たり前だと思っていた。どれだけ夫の両親のために私が頑張れば良いのか。同居してないけれど、もう限界。

母の秘密

 他人だからこそ分かる、私だけが知っている事。母は毎日、父に「死んでくれ作戦」を決行している。「知らない間に死んでいた」、そうなることを願いながら生きている。今に始まったことではなく、前から気づいていた。母は、父を置いて出来るだけ外出することを心がけている。母が買い物に行くと、パンや大きな飴玉をたくさん買ってくる。歩くと、必ず足が引っかかってつまずくような絨毯を敷き、滑り止めもせずに父を歩かせていた。ヘルパーさんからの連絡で取り外してもらった。お風呂好きの父のために、浴槽にお湯をたっぷり溜め、父を一人で入浴させたまま遠くに出かけてしまう。
 トイレまで遠く、足元を照らす照明を点けず、足元が不安定な父の片手に懐中電灯を持たせるよう習慣付け、トイレには、つまずきやすいサンダルだけを置いてある。どんなに注意して交換しても元に戻される。これは序の口、数え上げればきりが無い。
 もう聞きたくない母の言葉。毎回、私が行くと「施設に預かってもらうとすぐには死なん」「○○さんは、パンをのどに詰めて死んだ」「○○さんは餅をのどに詰まらせて簡単だった」「○○さんは用水路に落ちて溺れて死んだ」「施設では、中々死なん」「長男の嫁が舅をみたら早く死んでくれる」。先月、父を車椅子で散歩に連れて行った日、帰る間際に母から言われた言葉に、ただぼんやりと耳を傾け、もう暫くは連絡をしないでおこう。私が介入することで、いい方向に行くのなら良いけれど、偶然の事故死を考えながら生きてゆかねばならないほどのストレスが母にあるなら、本当に事故死を待つより、施設に預かってもらう幸せを選択してもらえないかと思う。
 暗に、私に父を殺せというのか!? 父との散歩中、車椅子に乗った認知症の父が言う「お前はわしが死んだら笹もって踊るか?」 私「笹もって?どうして?」 父「毎日、お婆に死ね死ね言われる。わしが死んだらめでたいめでたい言うて笹もって踊ってくれ」 私「人は、そんなに簡単には死なないよ。死ねないよ」。夫に伝えると「おばあが冗談で言うてることを真に受けて言うな!」と怒鳴られる。人が居ないところで、毎日死ね死ねと言われる父と、言う母。言わなければならないほどのストレスがあるなら、施設に預かってもらう幸せを選んでもらいたい。ケアマネージャーが「お母さんの言動が異常なのは認知が入っているからかもしれません。一度検査を受けられてはいかがですか?」とアドバイスしてくださったので、母を連れて精神病院へ検査に行った。
 結果は、まったくの正常。……と、言うことは、父の死を意味不明で願っているのではなく、本気で願っている。確信犯。分かっていて、事故死を狙っている。夫と姉が電話で「早く死んでくれたらいいのに」と話している。

エピローグ

 それから、ドタバタと時間をかけて、私の前で荷造りして出て行った。問題なのは、認知症の父ではなく、夫と母
 私は、本当に疲れました。今年になって、夫と何時間? 何分? 会話をしただろう。顔も見たくない。私も、夫が早く死んでくれないかと思うようになり始めた。就職活動を始めたことも、夫には全く伝えてない。夫と、母の蜜月の会話を聞くのも嫌。母が、父に「死ね」と本気で言っていると分かるのは私だけ。
 哀れでならない。かといって、今、私が出て行くと全てを私一人で抱え込む結果になる。もう嫌だ。助けて。
 そして、夫は今朝「黙って親をみないなら別れてやる。わしが出て行く」と、出て行った。私は止めなかった。息子も止めず、どうせ介護なんて何も出来ないから3泊4日か、5泊6日で、のこのこ帰ってくるよ」と笑っている。私も同感。「実家へ帰りたかったらいつでもどうぞ、ここへ戻りたかったら、いつでもどうぞ。自分で決めてね。私が出て行けと言ったわけでもなければ、別れたいと言ったわけでもないのだから、自分の責任で決めてね」それだけ伝えた。(了)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次